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むかし、むかしの話だよ。
この地にはね、氷の精霊が眠っておられた。それはそれは深い眠りの中で、精霊は夢を見ていた。
一人の少女が訪れて精霊に言った。どうか力を貸してください、と。
精霊は氷の羽衣を少女に渡し、彼女の祈りに答えてその力を貸し与えた。
やがて少女は北の果ての地へと辿り着き、その地で魔女を倒し、世界をのみこもうとした海の魔物と戦って、罪を星へと還した。
力を使い果たした精霊も夢から覚め、星へと還っていった。
けれどね、倒れた魔女は死んではいなかった。少女の力に肉体は砕けたけれど、それは本当の身体ではなかったのだよ。
半分にちょん切れた女の身体の中で、ソレは眠りについただけ。男なのか女なのかも分からぬ、ただそれが憑いた肉体が女であったことから魔女と呼ばれたに過ぎぬ災厄。
親しい者のふりをして近付いて来るソレは、深い深い眠りの中で夢を見る。悪夢を。
時折その夢の欠片が落ちているけれど、無闇に触れてはならないよ。うっかり触れると悪夢は現実となり、人を惑わせるのだから……。

そんな時はね、この星に祈ってごらん。今も星を巡る精霊たちに願いを届けば、きっと力を貸してくれるから。




氷の結晶のような儚い色を放つ花。
白い森は深く、昼間でも絡まる枝の隙間から零れ落ちる光だけで辺りは淡く照らされるのみ。
柔らかな光を受けた花がひっそりと輝く様が美しい。

リヒトは今朝貰ったばかりの新しい革のブーツが嬉しくて、時折片足だけ前に伸ばして黒く艶光る様を眺めてみる。
足首より少し上まであるブーツには、沢山の紐が通してあって、リヒトにはその紐が複雑に絡まり出来た模様が、特別なお守りにように思えた。
紐の先だけはリヒトが結んだ。最近出来るようになったばかりの蝶々結び。祖母に教わって何度も練習した。
まだ少し片側に傾いているけれど、リヒトは満足気に何度もそれを見下ろした。

「お誕生日だろう。おめでとう」
大好きな祖母が、いつもと変わらぬ穏やかな声でそう言った。彼女は目が見えない。
けれどその優しい声で、たくさんの話を聞かせてくれる。古い話や古い歌。昔から伝わるものを、ほんの少しもつかえたりせず朗々と読み上げる。
忘れてはならないお話をしようか。そう言って祖母は毎晩、色々な話を聞かせてくれる。
楽しい話。悲しい話。ちょっと怖い話。
それらは本当にあったことでもあったし、言い伝えられるうちに少し変わってしまったものでもある。
祖母はそんな話をする時はいつも大切な秘密を打ち明けるように、大事に大事に紡ぎ出していた。
街に住む大人たちも祖母の話をいつも大事に聞いていた。
だからリヒトも自然とそれらの話を、忘れてはならない大切なお話として、心に留めていた。



街を覆うように広がる白い森は色々な名前で呼ばれていたけれど、リヒトの祖母はその森をマカラーニャと呼んでいた。
淡い光の中で、氷みたいな花や水晶の塊、小さな緑の木々や、それらよりもうんと大きく古い白い木たち。
リヒトは森を散歩するのが好きだった。
綺麗な石を拾ったり、時折見かける蝶々を追いかけたり、氷花の薄い花びらに触れたり。
リヒトの朝は忙しい。

「あれ?あんな所に、あんな花、あったっけ?」
思わず独り言を呟きながら、傍らに咲いた花の前に屈みこむ。
それは氷花のようだけど、見たことも無い色をしていた。
普通は白や薄い青をしているのに、その花は森の外で見る太陽のように華やかな黄色だ。
「きれい……」
呟きながらリヒトは小さな手を花に伸ばそうとする。
なぜか触れるのにためらいがあった。
不思議な幻のような花だからか……。
少し悩んだけれど、結局リヒトは、その花を摘むわけでもないし、花弁に触れるくらいなら構わないだろうと、指先を伸ばした。
存在するはずのない花に……。

リヒトの人差し指が、柔らかな花弁に触れた瞬間、その花はまるで幻のように虚空に消え去った。
「え?」
リヒトは夢を見ているかのような気分になりながら、花があった場所をじっと見つめる。それは確かにそこにあったはずなのに。

「どうしたの?」
「ええっ!?」
突然後ろからかかった声に、リヒトは文字通り飛び上がって振り向いた。
「なにか、探しているの?」
首を傾げて立っているのは、少年。リヒトより少し背が高いだろうか。
目を丸くして見つめるリヒトに、少年は少し困ったように眉を寄せた。

「キミはだれ?」
震える声でリヒトは尋ねる。
少年は困ったような顔をしているくせにやけに落ち着いた声で尋ね返した。
「…キミは?」
「わたしはリヒト」
「そう…ぼくはナヒト」
「?そうなの?似てるね、名前!」
はしゃいだ声をあげるリヒトと反対に少年はひっそりと笑う。
「うん。似てるけど、正反対なんだよ」
「??」
「……ねぇ、この森、案内してくれる?」
「いいよ!」

「ナヒトはどこから来たの?」
並んで歩きながらリヒトは、あまりこの辺りでは見かけない格好をしたナヒトの様子に親しげに話しかける。
日に焼けた肌で、キラキラと輝く太陽みたいに眩しい髪をして、ナヒトは夜のように笑う。
「うんと遠くだよ」
「そこは、あったかいの?」
「うん、そうだね。そこはいつでも暖かいよ」
「そっか。ここと反対だね。ねえ、知ってる?ここは昔、氷の精霊がいたんだよ。だから今も寒いんだ」
ナヒトはひっそりと笑った。

二人は手を繋いで森の中の坂をのぼった。ナヒトの手はひんやりとしていた。
「もうすぐ街が見えてくるよ」
そういって前方を指差す。木々の天井が一旦途切れ青い空が見える。とても高い空は薄い青色。もうじき日が沈むだろう。その向こうに一層巨大な白い木々の森が見えた。
リヒトの街はその根元にある。
「昔はいっぱい人がいたんだって。精霊がいなくなった後におっきい街が出来て…でも、ある日おっきい波がやってきて、街は一度海に飲まれちゃったんだよ。それからまた街が出来て、今みたいに貝や珊瑚を使って造られて、とても大きくなったけど、でも今はほとんどの人がもっと南の街にいっちゃった」
「南の街?」 「うん。だから大人はおばあちゃんだけ」 「こどもは?」
「わたしだけ」
ナヒトの手を引きながらリヒトは笑った。
「だから嬉しいんだ。ナヒトが来てくれて」
「そう」
優しく頷いてナヒトは微笑み返した。



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