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巨大な貝殻を基礎に作られた街は、人気がなく、すでに忘れ去られたかのような有様だった。
リヒトの新しいブーツが音を立てる。
「こっちにね、聖なる泉があるんだよ」
自分の遊び場である泉と、図書館へとナヒトの手をひく。
「ここの図書館におばあちゃんがいるんだ」
白い貝殻の中は、ほんのりと光が灯されていたが、リヒトがちょこちょこと駆け回り探しても、生憎と祖母の姿は見られなかった。
「どこ行っちゃったのかなぁ?」
「これ、スフィア?」
ナヒトが指差す。
「うん。映像スフィアだよ。ナヒト知ってるの?おばあちゃんは、スフィアはもうあんまりないって言ってたよ。昔はいっぱいあったけど、今はとても珍しいものなんだって」
「…リヒトのおばあちゃんは、物知りだね」
「うん!おばあちゃんは、昔のこともとてもよく知ってるんだよ」
「……ふうん」
「だからね、おばあちゃんはスフィアに知ってることをたくさん残しておこうって」
「残してどうするの?」
「それは分からないけど…でもおばあちゃんは、未来のためにって!」
「…そっか」
ナヒトはひっそりと笑った。
「未来…か……」
リヒトはその言葉が好きだった。どこかキラキラした輝くもののような印象があったし、これからずっと先、リヒトが決して会うことはないけれど、それでも確かに存在するであろう人のことを思うと、胸がドキドキと高鳴った。
けれど、ナヒトの声はどこか皮肉なもので、彼には未来がキラキラ見えないのかもしれない。
どこから来たのか、どうしてここにいるのか分からない少年がなんだか悲しくて、リヒトは再度ひんやりとした手をひっぱって、図書館の奥へと連れて行った。

日が沈み、月が空に浮かぶ。

「この先にね、夜になると行ける特別な場所があるの」
「特別な場所?」
「うん、そう。秘密の場所だけど、ナヒトに教えてあげる」
にっこり笑うリヒトに首を傾げてナヒトは言った。
「じゃあぼくたちは、トモダチ、だね」
「トモダチ?」
うん、とナヒトは頷いた。
「そっかぁ。トモダチ、かぁ。じゃあ、ナヒトは私の初めてのトモダチだね」
手を繋いでナヒトはひっそりと笑った。月明かりでその笑顔はとても綺麗に見えた。まるで幻のように儚く。

その笑顔の前に、それこそ幻のような階段が現れた。
「こっち。ついて来て!」
軽やかにブーツを翻して階段を下りてゆくリヒト。
長い階段は聖なる泉の奥深くへと導く。

聖なる泉の奥にある祭壇は、遠い昔にこの地を去った氷の精霊を祀っている。この祭壇は星を巡る精霊たちに祈りが届くようにと造られた。
「この祭壇は、街が波に飲み込まれる前からあったんだって。とってもとっても古いんだよ。精霊がいなくなってしばらくしてから造られたっておばあちゃんが言ってたの」
説明するリヒトの言うとおり、祭壇は上階の街とは全く違う造りになっている。貝殻を使用したものではない、ずっと古い建築方なのだろう。

ナヒトがひっそりと笑う。
「ここならきっと星を巡るものたちによく聞こえるんだろうね。祈りが」
「うん。そのために造られたんだって」
「そう…。星を巡るもの…精霊たちのほかにも、ね」
目を細めてうっとりと虚空を見つめるナヒトの額に、眩しい色の髪が濃い影を落とした。
「ナヒト…?」
幻想みたいな彼の姿に胸の奥がガンガンと激しく打つ。彼はとても綺麗なのに、太陽みたいに眩しいのに、どこか不吉な影が見える。

「祈ってみようか?」
リヒトの不安を感じたのか、ゆっくりと振り向いて、ナヒトはひっそり優しく微笑んだ。
「…何に?」
声が震える。
おばあちゃん…おばあちゃん…昔話が聞こえるよ。

今はわたしにも聞こえる。たくさんの声が。
今まで聞こえたことのない、星の声が。

この祭壇のせいだろうか。囁きのようなざわめきの様な、言葉のようなただの音色のような、たくさんの音がリヒトの耳に、胸に、押し寄せてきた。
遠い昔からの言葉。遥か未来からの言葉。

夢の欠片を拾ってしまった。
悪夢の欠片を……。

ナヒトがひっそりと笑う。太陽みたいな顔に、夜の影を浮かべて。
ゆっくりと祭壇にのぼろうとしている。
幻のように姿が揺らぐ。

「だめっ!!」
リヒトは靴音を響かせて追いかける。
ナヒトを押しのけて、祭壇に立った。

祈る 祈る 祈る

この声が、願いが、星に届くように…。

精霊よ、この祈りを聞き届けておくれ。
幻は星へと還っておくれ。

祈りはただ精霊のみに届けばいい。

どうか、魔女を、目覚めさせないで!!



「リヒト……ぼくたちは、トモダチ、だろ?」
ナヒトがうっすらと、笑いかける。
「トモダチなら、ぼくを、否定、しないで…」
悲しそうな顔で、笑いかける。
だけどリヒトの祈りは通じ、ナヒトはひっそりと笑った顔のまま、宙へ溶けていった。

「おばあちゃん、わたしのトモダチ、いなくなっちゃった…」
静かに階段を下りてきた祖母に呟くリヒトの目からは涙がポロポロこぼれていた。
「あれは、悪い夢だから、早くリヒトも覚めておしまい」
優しく言いながら祖母はリヒトを抱きしめた。
「今は悲しくても、きっと近い未来に、今日のことを良い思い出と言える日がくるからね……」
「…でもおばあちゃん、寂しいよ……」
「今だけだよ。すぐに忘れる。あれは過去の残像なのだから…」
「残像?」
「そう。昔、太陽を名乗った少年が夢の中から現れた。その残像に過ぎないのだよ。早く忘れておしまい」
ぽんぽんと優しく肩を叩く祖母。

「さあ、もう泣くのはやめて、新しい靴は気に入ったかい?」
リヒトはこくりと頷いた。
「もう暗くなったから家へ帰ろうか。今日はリヒトの誕生日で、祈りが星に届いた日だからね。おめでたいことが重なった。リヒトもこれで立派なセトラだね」
「……セトラ?」
「そう、前に話したことがあるだろう?セトラはとても古い民。星の声に耳をかたむけ、その祈りを星に届けることが出来る」
リヒトは涙を拭きながら何気なく聞いた。
「じゃあ、おばあちゃんにも、星の声が聞こえるの?」
「さあさあ、早く帰ろうか。リヒトも疲れただろう?」
優しい祖母はリヒトの問いが聞こえなかったのか、背中をそっと押して促がした。
光映さぬ目で祖母は、ひっそりと笑った。



セトラは星に祈り、その力を借りることが出来る。
リヒトも近い未来、星と語り合い、巨大な力を借りうるようになるだろう。
なんと素晴らしい。




膨大なエネルギーは、魔女の大好物だ。




-END-


 
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