白い手袋
「所詮噂に過ぎないさ」
そう言ったのはツォンだったが、ほのかな街灯のみの夜の街角ではただの噂もやたら真実味をもって頭の中をぐるぐると支配する。
何気ない日常で、どれだけたくさんの音が自分を取り巻いていたのか。物音ひとつしない今になって初めて気がつく。どうしようもない恐怖と共に。
深夜の街角、石畳の上、靴音を響かせてイリーナは歩く。
「…あれは単なる噂だよね。うんうん!気にしないったら気にしなーい……」
呟く自分の声すら闇に飲み込まれるようで。薄暗い建物の角を曲がる度に視線を揺らして異常がないか確認してしまう。
そう、例えば、白い手袋が落ちてはいないか、と……。
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「白い手袋を見たら死んじまうんだとよ、と」
ミッドガル程の規模の街ならば必ず一つや二つは転がっている都市伝説。
伝説とはいっても所詮は流行り物の一つに過ぎない。手にした週刊誌の中からその内の一つを興味なさそうに口にしたレノは片手を頭に、もう片方は反面に折った薄っぺらい雑誌を手に、椅子の背が軋む程だらしない格好でもたれかかっていた。
「なんで白い手袋、なんですか?」
「さあな。こういうことに理由を求めても意味はないぜ、と」
軽口を交わしていると、それまで端末に視線を向けていたルードがふとこちらに顔を向けた。
「……死神の手袋だそうだ」
「死神…ですか?」
「死神ってのは手袋してんのかよ、と。しかも白?なんかイメージ違うぞ、と」
死神のイメージなんてのは人それぞれだろうが、確かにイリーナの脳内にも白い手袋をした死神、といった姿は浮かばない。
「大体、死神が手袋を落としてるっていうのも変だし、それを見たら死ぬっていうのもなんかよく分かんないですよね」
「だから理由を求めるなって」
「……死神の手袋は、生きている者の魂を招くらしい」
「じゃ、その手袋が、来い来いってするんですか?」
暗い夜の街の一角で、闇に浮き上がった真っ白い手袋がふわりと宙に浮いて、おいでおいでとこちらを招きよせるように動く場面を想像して、イリーナはその馬鹿馬鹿しさにも関わらずゾッと背中が震えるのを感じた。
「…アホらしいぞ、っと。それよりルード、あんたなんでそんなに詳しんだ?」
「……神羅チャンネルの特番だ」
「あぁ、あんた見たのか、と」
「……録画しておいた」
そんな会話を交わす先輩たちの声にもなぜか笑えない。
「所詮噂に過ぎないさ」
それまで黙っていたツォンが静かにそう言って、馬鹿げた会話は切り上げられた。
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満月に程近い月が淡く雲を染めている。好い加減に酔いが回った千鳥足で通りがかった路地裏。
スーツ姿の男の背中に何気なく目を向ける。懸命に地面に目を走らせる男は明らかに自分とは違って酒が入っている様子ではない。おそらく落し物を探しているのだろう。ほろ酔い気分のまま男に声をかけてみた。
「こんばんわー☆何か探しものですかぁ?」
酒が入っているせいで妙に高いテンションになってしまったが、男はそれに頓着する気配は見せず、困ったように眉を下げてこちらを見上げた。
「……無くしたものを探しているんです」
気弱そうな声に同情心を煽られる。
「大変ですね〜。良かったら手伝いますけど、何を落とされたんですかぁ」
男は驚いたように僅かに目を見開いたが、すぐに嬉しそうに小さく微笑んだ。笑顔は一瞬で消え、眉毛が下がり再び困惑したような泣きそうな顔で小さく告げた。
「……指輪、なんです。とても…とても…大切な……」
「あーーーー〜………」
指輪はマズイよなぁ。うん、マズイ。
大切というからには左手の薬指にはめちゃうようなヤツなんだろうな。あー…一生懸命になる気持ちが分ーかーるー。(酔っ払いテンション)
そういえば男はスーツというよりは…なんだ、タキシードのような正装に近い格好をしている。薄い雲に緩く覆われた月明かりと、道の向こう側にある街灯だけ
が頼りだからはっきりとは見えないが。もしかしたら、指輪が見つかるまで帰ってくるな!とか言われて、なんかのパーティの途中だったのにこんな所まで一人
寂しく探しに来たとか?うわー、気の毒ぅ〜。
「だいっじょうぶでっす☆ちゃんと見つかるまで自分が責任もって手伝いますからッ!!」
根拠も無く断言すると、男は微かに笑みを浮かべて礼を述べた。
「いや〜、お礼なんて指輪が見つかってからでいいですよ!あははははッ!」
異常なテンションのまま豪快に笑ってみせると、男もつられたのか先程よりも微笑が深くなる。
笑い合いながら何気に指輪がはめてあったであろうはずの男の左手に視線を落とす。
「あはは……あ、あは…あ、あぁ!?」
そこには なにも なかった。
咄嗟に男の右手も確認する。
「あ、あ、あの…あ、あ、あなたの…その、その、その………」
両手とも、手首から先がまるごとない。
「そ、そ、その、その、その、手…………」
男は俺の視線に、あぁ、と頷くと、まだ真新しい傷口からぼたぼたと赤い血を垂らしながら…あぁ、現れた月明かりでよく見てみるとそこら中の道は男の血に塗
れ、赤黒く染まっているじゃないか。すっぱりとひとおもいに断絶された箇所をこちらにさらし…やめてくれ、その普段は薄い皮膚の下に隠されているにくを見
せるのは。
そして男はにっこりと笑った。
「落としちゃったんですよ。両手ごと、まるまるネ☆」
でも手なんてどうでもいいんです。僕が探してるのは指輪なんだ。指輪を指輪を指輪を大切な指輪を早く早く早く早く探さなくては見つけなくてはそしてそして
そしてその指輪を指輪を指輪を大切な指輪をあのひとにあのひとに大切なあのひとに早く早く早く早く持って持って持って行ってそしてそしてそしてそして言う
んだ言うんだ言うんだちゃんとあのひとに言うんだ大切な大切な大切な大切な言葉を言葉を言葉を言葉をあのひとにあのひとにあのひとにあのひとにゆびわを
「うわッ!わ、わ、わッ!!」
男は目の前でうっすらと薄れて、消えた。
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ルードから録画したという番組を借りたのが間違いだったのだろうか。
イリーナは思い出したくない映像を思い出して、慌ててそれを振り払うように首を振った。
ゆびわゆびわとうわ言のように繰り返しながら笑って消えた男の映像が、頭から離れない。
「いやいや、あれは番組用に作った映像だから!ニセモノ、ニセモノ!」
自分に言い聞かせるようにわざわざ声に出して呟きながら、路地を曲がった。
細い路地は両側をビルに挟まれて、伸びる道の向こうは暗くて、黄泉の果てまで続きそうな闇だ。
所々、ぽつりと灯された橙色の街灯はかえって辺りの闇を深めるだけだった。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ツォンさんだって、ただの噂って言ってたし!」
呟く声さえも闇に呑まれて、自分以外の何物も存在しないかのような心細さが襲う。
そして通りがかった路地裏で、何かを探すように地面に屈みこんだ男の背を見つけた。
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人間、ホントにパニックに陥ると、悲鳴なんて出てこないものだ。
「…………………」
イリーナは声を出すことも出来ず、男の背を見て固まった。
男は一心不乱に何かを探し続けている。イリーナには全く気付いていないかのように見えた。
緊張のあまり、ヒュッと音を立てて息を吐き、しまった、と思う間もなく、男がゆっくりとこちらを振り返った。
普通の顔の男だ。これといった特徴もない。
どちらかというと、イリーナの目には爽やかな好青年と映るような清潔感のある姿だった。…これが普通の状況なら。
けれど、薄闇の中、街灯の灯りを受けて立ち上がった男が浮かべた微笑は、深い影を落としていて、イリーナは震えないように奥歯をかみ締めた。
「…こんばんは」
男はイリーナの緊張に気付いているのか、静かな声で挨拶をした。
「………こ、こ、こんばん…わ…」
かろうじて答える。声が出ただけでも偉い!と自分を褒めてやりたい!
全く音のしない夜。街は死んだかのように無音で、イリーナと男の声だけが存在する。
イリーナは、薄闇の中、男の服がスーツではなくタキシードであることの気付いた。
すらりと伸びたジャケットの腕。その先を見るのが怖い!
男はまるでただの影のように静かにその場に立ち尽くしていた。
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「いるんですよ、本当に!いたんですッ!」
タークス本部に入るなり、力説しだしたイリーナを、レノが胡散臭そうに見やる。
「はいはい。どうせルードに録画したディスクを借りたんだろ、と」
「違います!いや、借りましたケド。そうじゃなくて、私が、この目で、見たんですよッ!」
「………白い手袋をか?」
ルードも興味深そうに話に入る。
「いいえッ!手袋じゃなくて、男のヒトです!探し物をしてたんですよ!誰もいない深夜の路地裏でッ!」
「そんなのただの酔っ払いだろ、と」
「レノ先輩!…ただの酔っ払いが、目の前でスゥーっと消えたりするんですか!?」
デスクを叩かん勢いで訴えかけるイリーナを、面白半分にからかっていたレノだったが、さすがにこの発言には肩眉を上げて聞き返した。
「消えたって、その男が?」
「そうですッ!」
「………見ている目の前でか?」
「そうなんですよ、ルード先輩!」
「つってもなぁ、どうせお前が目を放した隙に、そこらのドアから建物に入ったとかじゃないのかよ、と」
「ドアはありませんでした。ビルに挟まれた路地裏で、裏口からはかなり離れていたし…」
仮にもタークスのメンバーであるイリーナ。幽霊やお化けなどの怪談は苦手だが、男が消えた後、最低限の調査はしたようだ。
辺りには隠れられる場所もドアもなかった。それは確かだ。
「なぁ、ルード。普通、人間が瞬時に消えたっつったら、どういう可能性が考えられるかな、と」
「………まずは、裏口」
「だな、と。まぁそれはイリーナが確認したから、この場合はナシだな」
「………後は、上か下か……」
「だな。イリーナ、お前、頭上は確認したのか、と」
「はぁ?上、ですか?」
「そう。例えば、すぐ上に窓があったかどうか」
「…ビルですから、窓は確かあったと思いますケド…」
「………下はどうだ?」
「えっと…下、というと?」
「まぁ、この場合はマンホールとかだな、と」
「えーっと、マンホールは……そういえばすぐ側に一つあったような…」
「上も下もありってことか。ま、そのどっちかだな、と」
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「えーっと…つまり先輩たちは、あの男のヒトは、消えたんじゃなく、一瞬の内に窓かマンホールかを使っていなくなったって言ってるんですか?」
パチパチと瞬きながらイリーナは先輩二人を交互に見た。
「まぁ、それ以外に方法がないとは言わないがな、と」
「………マンホールの方が可能性は高いな」
冷静にそういって、さっさと自分たちの仕事に戻る二人に、イリーナは眉を顰める。
「つ・ま・り、幽霊はいないってことですか?」
レノとルードはあっさり言った。
「いないだろ、と」
「………いないだろうな」
イリーナは納得がいかないと両腕を前で組んだ。
「なんでそんな言い切れるんですか?…特にルード先輩」
番組を録画するくらい興味津々のくせに!とイリーナの目が言っている。
「………興味のあるナシと、現実にいるかいないかは、別だ」
静かに言い切ったルードに、レノが「カッコイー!」と掛け声をかけている。
「でも先輩たち、私、一つだけ納得がいきません!」
二人は、何がだ?とイリーナを見た。
「なんであの男のヒトは、わざわざ私の前で、マンホールなりなんなりを使って消えてみせたんですか?」
奇術師じゃあるまいし、ヒトの前で突然消えてみせることに何の意味があるというのか。
イリーナのもっともな質問に、しかしレノとルードは悩むでもなく、逆に興味をひかれたとばかりに急に身を乗り出してきた。
「そりゃあ、イイ質問だぞ、と、イリーナ」
そう言ってニッカリと笑ったレノの後ろで、ルードのサングラスがキラリと光った。
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「………まずは、基本からだな」
「そうだな、と。イリーナ、夜の街をさ迷う幽霊の噂が出回って、それがかなり信憑性のあるものだったらどうする?」
「…もう一人で夜路地を歩くようなマネはやめようと思いました」
「経験者の貴重な意見だな、と」
ニヤニヤ笑いながら言うレノに、コノヤローと思う。
「…じゃ、レノ先輩たちなら、どうするんですか!?」
「俺たちがどうするかは関係ない話だな、と」
「そんなのズルイです!!」
「ズルくはないぞ、と」
「………俺たちなら現にこうしている」
ルードの一言に、イリーナはアッ!と気付く。
「そうですね!つまり、先輩たちなら幽霊とは思わずに、捻くれた発想で、論理的に重箱の端をつつくようにして状況を分析する。そういうことですね!」
「…なぁーんか、言い方に毒があるような気もするがな、と」
「………気のせいだ………と思いたい」
「まぁ、いいか」
気を取り直したようにレノが話を続ける。
「イリーナ、お前だったら夜の外出を避ける。更に言うなら、幽霊を目撃した場所には近寄らないようにするだろうな、と」
「もちろんですッ」
力説する後輩に、レノはやっぱりニヤニヤと笑ってみせた。
「どう思う、ルード?」
「………幽霊の思う壺だな」
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「思う壺って先輩……それじゃまるで幽霊が何か企んで、現れたみたいじゃないですか」
「まるで…じゃなくて、その通りなんだろ、と」
「………確実ではないが、効果的な方法だ」
「人を寄せ付けたくないなら、そういう風に情報操作すればいいんだぞ、と」
したり顔で言う二人に、イリーナは呆気に取られたように目を見開いた。
「じゃあ、幽霊の話は、その誰か知らない人の”情報操作”だっていうんですか?」
情報操作。そういう言葉を使われると急に幽霊だの何だの言っていたのがバカらしく感じてしまう。
それでもただの作り話なら、笑っておしまいなのだが、そこに裏があるとなれば、笑ってすますどころではなく、引っかかってしまった分、後味が悪い。
「いったい誰がそんなことを!」
勢い糾弾するように鋭い語気になってしまう。
「どこの誰だかは分からないが、どーせロクでもないヤツらだろ、と」
「………真っ当な人間ならこんな遠回しなことをする必要はない」
深夜の街の一角。幽霊話を作り上げてまで人に近寄られたくない人間がいるとしたら、良からぬことを企んでいるからに他ならないだろう。
「先輩!行きましょう!そんでもって、幽霊の話なんかして人を怖がらせた人を、懲らしめてやりましょう!」
なんだか違う方向に盛り上がっているイリーナを視界の端に入れ、レノとルードは肩を竦めた。
「犯人なら、予想はつくけどな、と」
「………折角だから、イリーナを連れて行くか」
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「結局、幽霊の話もみーんな、反神羅の人間の仕業だったんですね」
カームの空は青く高い。白い雲がゆっくりと流れていく。
ミッドガルの外ならどこででも目にすることが出来る、けれど貴重な光景だ。
周りを壁に囲まれているうえ、いたる所に魔光タンクが見られるこの街は、そもそもそれほど開放的な空気があるわけではないが、それでもこんな風に天気の良い日は、街全体がどこか明るい雰囲気になる。
小さなカフェの二席しかないテラス席を陣取って、温い紅茶を口に運びながらぼやくイリーナに、行儀悪く丸テーブルに両肘ついて半分伏せるようにダルそうに腰掛けているレノが、クツクツと咽の奥で笑った。
「あっさり騙されるなよ。お前もタークスなんだぜ、と」
どこか眠そうなまま、レノは目の前の熱いコーヒーをズズズ…と音を立てて啜った。
「………まだこどものような年齢だったがな」
椅子の背にぴたりと背筋をつけて寛いだ姿勢を取っているが、レノなんかと比べるとよっぽど背骨が綺麗に伸びているルードは、コーヒーにミルクを今日は少し大目に入れている。
「こどもでも、犯罪は犯罪だぞ、と」
「そうですよね。あの子たち、あのビルを爆破させようとしてたんですから!」
「しー。イリーナ、声がデカイぞ、と」
「あ、すいません」
手の込んだ仕掛けも、いってみれば若いこどもたちの遊び半分のようなイタズラの延長で。
「所詮噂にすぎないさ」
そう言っていたツォンは、あの時点ですでにこの結末を可能性の一つに入れていたらしい。
昨夜、イリーナたちが噂の場所に出向いた頃にはすでにツォンの手で、犯人である三人のこどもたちは捕らえられ、石畳の上に正座させられて説教をくらっていた。
三人は全員がカームの出身だった。
「本当なら、公にして処罰とか、されてるはずだったんですよね…」
微妙な表情を作るイリーナの横で、レノはついに眠気に白旗を揚げたようで、腕の中に突っ伏してモゴモゴと呟いた。
「…相手はこどもだからな、と。……大事にしても、神羅の名前に、傷がつくだけ……と、ツォンさんは言ってたぞ、…と……」
音を立てずにカップをソーサーに戻したルードが相づちを打った。
「………我々はタークスだ。警備や軍の連中と同じ様に動く必要はない。状況に合わせて行動するのも、任務のうちだ」
「はい!……あっ、ツォンさんだ!」
数時間に渡る説教で、身も心も(そして両足のしびれも)限界を見たこどもたちを、親元に連行し終えた(しかも蜜蜂の館で補導したなんてイタイ理由をつけといた)ツォンは、けれど青空の下で大して疲労を見せるでもなく、テーブルへと近付いた。
そこだけ黒スーツの人間が集まっている光景は、街の中で少しだけ浮いていたけれど、彼らは気にするでもなく昼前のささやかなティータイムを楽しむ。
幽霊なんて、この青空の下には似合わない。
あんな途方も無い話が信憑性を帯びるのは、暗闇とヒトの闇が幾重にも折り重なり、人工の光さえ全てを照らすことの出来ぬ魔光の街だったからこそ、だろう。
暗い街角で誰かが屈みこんでいる。
白い手袋を探してる。
見たら死んでしまう。
死神の手袋。